どうもこんにちは、 こんばんは節約サイコパスこと節約サイ子です。
さて2024年と言えば、私のような個人投資家の中では新NISAが始まった年として意識されているが、私の職場ではそんな話題は一切出る様子はない。
加えて、国が新NISAをあまりに推すせいで陰謀論まで出る始末だ。
今回はそんな「投資」とか「新NISA」に限らず、「よくわからないこと」を拒絶し、頑なに受け付けようとしない人たちについて、私が思うことを語っていく。
私もそうだった
投資はよくわからないし怖い。
今では投資をすることに何の抵抗も感じていない自分だが、 私も6年前までそう感じていたので、 同じような感想を持つ人たちを別におかしいとは思わない。
これまでの日本では特に、普通に生きていたら投資に関わらない人が多かっただろう。
差別と一緒、よくわからないから怖い、 怖いから遠ざけてフタをする。
だが、それは非常に愚かだというのは歴史が証明している。
私が投資を始めた理由
私は貯金だけで1000万円貯めた人間だが、 何か目標があったわけではない。
何と言うか…社会人生活をしていて、 生きる希望を失って絶望していたのだ。
家と会社を往復している、人間のフリ、生きているフリをしているゾンビ…それが私だった。
私がたまたまワーキングプアなどに転落しなかったのは、「 浪費するということにも絶望していたから」に他ならない。
お金を使うことすら面倒でつまらなかった。だからお金だけが残ったというわけ
お金を使って短期的な快楽に浸っても私は幸せにはなれないと分か っていたから、 浪費に走って資産を無駄にすり減らすことが避けられていた。
以前の記事でも書いたが、「貯めた」のではない。
そして気づいた時には1500万ほどの資産があり、この資産の使い道はあるのか、何か現状を変えるようなものがないか、と模索していたところ、投資に出会った。
逆を言えば、ある程度の資産がなければ投資を考えることも意識することもなかっただろうし、そもそも投資をする余裕がなかっただろう。
「なんとか生活はできている」から冒険しない
つまり、「投資」「NISA」というものを拒絶し、頑なに受け付けない人たちはお金に余裕がない人たちが多いのではないかと推測できる。
ではなぜ、お金がないのか?
よくわからないものを知ろうともせず遠ざけるからである。
そしてこれは「遠ざけたままにしておいて良いくらいにはまだ余裕がある」と言い換えることができる。
例えば、
- 貴方は今、空腹だ。
- 貴方の目の前にある箱の中には食べ物が入っている可能性がある。
- 同時に爆弾が仕掛けられていて開けると爆発する可能性もある。
この場合、まだ空腹に余裕があるのなら箱を開けるという冒険をせず、余裕がなく今にも倒れそうな状態ならば、爆発に巻き込まれる危険を承知で箱を開けにいくだろう。
世界的に見て、日本がまだまだ豊かな証拠である。
だが着実に、我々が浸かっているぬるま湯の温度は上がってきている。
増税とインフレと円安と
増えていく高齢者とそれに伴って上がっていく消費税と社会保険料、スーパーやコンビニに行けば嫌でも目に付く物価の上昇、
そして人口が減少していき緩やかに、でも確実に衰退の一途を辿っている国の通貨である、円。
本当に冒険しなくて大丈夫か…?
まとめ
リスクを承知で目の前の箱を開けなくてはならない時代が来た、のかもしれない。
スマホをただの通信手段として扱うか、情報収集ツールとして扱うか…はたして君はどっちだ?